Kilian Martin - A Skate Escalation
友人知人のスケーターの中でもフリースタイル人間は圧倒的に少ない。少ないと言うか、一人しかいない。なんでまた、そんなに皆さんフリースタイルを敬遠するのか。少し古いがキャプテン翼的な観点においてフリースタイル程にデッキがお友達なジャンルはないだろう。デッキ、ウィール、トラックの全てを使い切り、一畳あれば出来る技は無限大。マイクバレリー(Mike vallely)も言っていた「場所を選ぶな」と。どこでも出来るというのは表現において凄く重要だ。小さなカフェではアコースティックで、駅前ではバッテリーでアンプを鳴らし、ライブハウスでも大きなフェスでもこなしていくミュージシャンのように場所を選ばなければ当然露出は増える。ただ、ここで問題となるのはいくら露出が増えようが、前衛的であろうがミュージシャンもスケーターもそれ一本で生活するのがかなり難しいという現状だ。特に日本のスケートボードのマーケットは流行っているからといってプロを量産できるほど大きくはない。それに応じるかのようにプロを目指して滑っている人はほんの一握り。そんな現代だからこそ今日のスケーターは何でもこなす職能的なスタンスより、自分自身のスタイルを追求する滑り方をするのだろう。ひょっとしたら、フリースタイルというジャンルはスケート界の喰えない大道芸という位置づけなのかもしれない。それならそれでマイノリティーであるからこそのアプローチもあるだろう。まず何よりも、模倣にかたよらず原始的な直感においてやりたいことをやる。誰に何と言われようともそれを貫き通せば、それがスタイルだ。
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